障害のことも、人生のことも、スポーツを通じて伝えていく
20年以上にわたり、全国の小中学校で訪問授業を行なっている「特定非営利活動法人パラキャン」。講師を務めるのは現役日本代表選手を含む複数名のパラアスリートです。この授業では、子どもたちと車いすバスケを楽しみながら障害者の現状を伝えるとともに、社会の多様性や目標を持つことの大切さを説いています。今回は、千葉県柏市立光ヶ丘小学校を訪ね、授業の様子を取材。「活動を通して人の意識を変え、さらに社会を変えていきたい」――。この思いを胸に前進し続ける、パラキャンの活動に迫ります。
脚に障害を持つ講師が、チームワーク抜群に進行
6月初旬のある朝。千葉県柏市立光ヶ丘小学校の体育館には、「ダン、ダンダン」という、バスケットボールをドリブルする音が鳴り響いていました。今日は、5年生143人を対象に車いすバスケの体験授業が行なわれるのです。特定非営利活動法人パラキャンの事務局長・中山薫子(なかやま・かおる)さんと、脚に障害を持つ4人の講師が、100分間にわたって授業を行ないます。
体験授業は、スタートと同時に大盛り上がり。まずは、講師陣と光ヶ丘小の先生が4対4で試合を開始。先生たちが奮闘すればするほど、子どもたちの応援にも熱が入ります。例えば、校長先生が車輪をうまくコントロールできずに壁にぶつかると、「校長先生頑張って~!」と声援を送ります。車いすバスケは、脚を踏ん張ることができず、腕の力だけでボールを遠くまで飛ばさなければならないため、ゴールを成功させるのは困難なのですが、そのなかで、先生の一人がゴールを決めると歓喜の声が沸き上がりました。
子どもたち自身がいざ試合に臨むと、全員が車いすの操作に苦戦。その中で、彼らにタイミングよくパスを回して見せ場を作ってあげたり、反対に、ふざけながらボールを奪いに行ったりと、講師たちは巧みに授業を盛り上げます。抜群のチームワークで進行し、子どもたちの笑顔は絶えません。
講師陣の自己紹介の際は、ドレッドヘアが特徴の、通称“ジャリさん”が、自身の障害についてユーモアを交えて話してくれました。
「僕はレゲエ音楽が好きで、本場のジャマイカに遊びに行ったことがあるんです。現地に着いたらとてもうれしくなって、目の前に川があったから飛び込んだの。そしたら、川が浅くて水がすごく少なかったから首を強打しちゃった。それで頸椎を傷めて下半身が不随になりました。みんなもやってみたいことはいろいろあるだろうけど、ちゃんと確認してから挑戦してね」
ジャリさんの話を、初めは笑いながら聞いていた子どもたちの表情が、途端に神妙な面持ちに変わりました。
学年主任の野口貴寛(のぐち・たかひろ)先生は、授業で得た感想をこう語ります。
「子どもたちは、最初はやや緊張していましたが、実際に車いすバスケットボールを始めると、講師の皆さんとの心の距離がどんどん縮まっていきました。障がい者スポーツは特別な世界だと思いがちですけど、そういう壁のようなものがなくなった気がします。来年も、ぜひ訪問授業をお願いしたいです」
「よっしゃー!」がある人生は豊か
パラキャンは特定非営利活動法人として今年で創立10年を迎え、任意団体で始めたときから数えると20年以上活動を続けています。この団体を立ち上げたのは、現在事務局長を務める中山さんです。1991年にアメリカの大学を卒業後、ニューヨークで通訳ガイドの仕事に就いた中山さんは、96年、アトランタオリンピックで日本人観光客を相手に通訳ガイドを担当。同年に開催されたパラリンピックも訪れました。
「このときの経験は衝撃的でした。それまでは、パラリンピックというのは、体にハンディを持つ人を見守るような気持ちで応援するものだと思っていたんです。ところが、車いすバスケを目の前で見て、その躍動感と華麗さに圧倒されて……。すっかり刺激を受けて、とっさにあることを思いつきました」
アトランタオリンピックとパラリンピックが行なわれた前年の95年、日本では、神戸で阪神・淡路大震災が起きています。このときに被災した子どもたちに、車いすバスケを見せたい。中山さんはそう考えました。
「車いすバスケを通して、子どもたちが何かを感じて次の一歩を踏み出せるようになるといいなと思ったんです。人は、難しそうだなと思うことを達成すると『よっしゃー!できたー!』と思いますよね。この『よっしゃー!』がたくさんある人生は、すごく豊か。だから、車いすバスケを通して、まずはやってみることの大切さを伝えたいと思いました」
活動開始に向けて動き出してみると、驚くほどスピーディーに物事が進んでいきました。知人や友人の紹介を頼りに、パラリンピック出場経験を持つ神戸在住の車いすバスケの選手と出会うことができ、97年5月下旬からは2週間にわたって、神戸の小学校21校でイベントを開催しました。
「最近は90~120分の授業をしていますが、始めたばかりの頃は講師1人、車いす1台で1コマ45分ほどしかやっていませんでした。当時は、どこからも支援や寄付金をいただいていなかったので、移動費や食事代、講師への謝礼は全部自費で払っていました」
活動を続けていくうちに人脈は広がり、授業を担当する講師の人数も続々と増えていきました。2001年から10年間は、子どもたちの社会性育成を目的に民間団体の活動などを支援する子どもゆめ基金(運営:国立青少年教育振興機構)の主催事業に選出。また、2014年からは競輪とオートレースの補助事業に採択されています。
「今は、パラキャンの講師は全国に100人ほどいて、どの地域でも授業ができる状態です。資金面も、たくさんの方の支援によって充実していて本当にありがたいです」
授業を通してみんなが自信を身につける
あるときから、中山さんは授業の最後に挨拶をする際、子どもたちに対して「できないことを数えるより、できることを数えよう」という言葉で締めくくるようになりました。このメッセージは子どもたちの胸にまっすぐ届くようで、寄せられる感想の多くが前向きなものです。
「『講師の人たちは、足が不自由、手が不自由、バイクにひかれちゃった。それでもすっごく笑顔で楽しそうだと思いました』とか『私は自由に動ける分、もっといろいろなことを精一杯頑張ろうと思いました』など、講師の姿に刺激を受ける子は多いです。ロンドンパラリンピックの陸上競技に出場した古畑篤郎(こばた・あつろう)選手は、小学生の頃に、パラキャンと日本車いすバスケットボール連盟が主催したトレーニングキャンプに参加したことがあるんです。その頃の彼はとても泣き虫でした(笑)。でも、キャンプでいろいろな人と関わるなかで、自分はダメだと思うことや諦める気持ちを捨てたんでしょうね。今は第一線で活躍していてすごいなと思います」
パラキャンによって成長のチャンスを得ているのは、子どもたちだけではありません。講師も同様で、多くのメンバーが、授業を担当することで自信を身につけています。
2000年からパラキャンの講師を担当している石原正治(いしはら・まさはる)さんは、シドニーパラリンピックに車いすバスケットボールの選手として出場した経験を持ちます。現在は、上半身の力だけでベンチプレスを持ち上げる、パワーリフティングの日本代表選手です。
「子どもたちが授業でいきいきとした姿を見せてくれると、役に立てていると思えるのでとてもうれしいです。その上で、僕たちの話を聞くことで『何かできることはないかな』と思ってくれれば、もう、それで十分です」(石原さん)
同じく講師の高橋剛志(たかはし・つよし)さんは、24歳のときに骨肉腫を発症し、27歳で左足を切断。精神的に閉じこもりがちになってしまいましたが、パラキャンで活動するようになってからはみるみるうちに明るくなったといいます。現在は車いすバスケだけでなく、車いすテニス選手としても活躍し、男子ダブルスで日本車いすテニスランキング5位の成績を収めています。
「講師たちにはもちろん謝礼を支払っていますから、この活動が生活の一助になっていると思います。しかし、そのためだけではなくて、彼らの精神的な支えでもあるのではないでしょうか」(中山さん)
人の意識とともに社会も変えていきたい
授業の後半に行なわれる質問コーナーで、子どもたちから一番多く寄せられるのは、トイレとお風呂に関することだといいます。この問いに対しては、具体的な利用法とともに公共の多目的トイレの重要性も伝えています。障がい者が抱える問題点を共有するためだと、中山さんは説明します。
「多目的トイレはスペースが広いので、車いすだけでなく、ベビーカーを使う親にとっても利用しやすい作りになっています。でも、睡眠をとっていたり複数人で化粧をしていたりと、間違った使い方をしている人もいるんです。そういうことをされると、本当に多目的トイレを使いたい人はとても困ります。このことを一人でも多くの人に知ってほしいと思っています」
今後、パラキャンの授業では、車いすバスケだけでなく、まだマイナーなパラスポーツも取り入れていきたいといいます。そうすることで、さまざまな競技が日の目を見てほしいからです。
「石原は現在パワーリフティングの日本代表選手ですが、メジャーなスポーツではないので、スポンサーがつきづらい状況です。企業に所属し、午前中は仕事、午後はトレーニングという生活を送っていますが、今でも合宿や大会に行くときの費用は自分で出しています。そういう現状を変えていくには、一人でも多くの人に競技の存在を知ってもらうしかありません。パラキャンの活動が人の意識を変えて、さらに社会を変えていけたら、こんなにうれしいことはありません」