病棟に飾られた1枚の絵から始まった――
子どもたちの思いを届けるメタバース美術館
世界へ広がる「WonderMeta」。その取り組みのきっかけとは

香川県済生会病院・小児科医長の川口幸穂さん。株式会社ボストンコンサルティンググループにて約6年勤務後、医師免許を取得。現在は小児科医として勤務するかたわら、長期入院経験のある子どもを招待するイベントを主催している
――「WonderMeta」はどのようなプロジェクトですか?
川口 ひと言で表すと、メタバース上にあるオンライン美術館です。メタバースとは、インターネット上に構築された3次元の仮想空間のことで、スマートフォンやPCからアクセスできるほか、VRゴーグルなどを装着することで360度に広がる仮想空間を体験することもできます。「WonderMeta」はその技術を生かして、普段病棟を離れることのできない慢性疾患の子どもたちに“ワクワク”を届けるプロジェクトです。メタバース上につくられた展示スペースに、自身の絵を展示したり、他の人が描いた絵を鑑賞したりすることで、社会とのつながりを作ります。
――「WonderMeta」では、具体的にどんなことができるのでしょうか。
川口 自身の分身となるアバターを選んで(もしくは作成して)、仮想空間を歩き回ったり、自身の作品を展示するだけでなく、応援したい作品への投票やコメント、ちりばめられたヒントを集めて謎を解くミニゲームなど、楽しみ方は様々です。チャットや通話、アバターが動きで感情を表現する「エモート」などを駆使して、ネットワーク上の人とコミュニケーションを取ることもできます。

――プロジェクトを立ち上げたきっかけを教えてください。
川口 小児科医になってすぐ、病棟で闘病中の子どもたちを目の当たりにしたとき、「何て大変なんだ」と思いました。慢性疾患は治療が長期にわたるもので、病院で1年過ごすような子も少なくありません。症状によっては、体調が良くて病室を出られても小児科病棟の外へは出かけられない。そうなると社会的に孤立してしまいますし、教育機会も健康な人に比べて少なくなります。
そんな中で、とある小児患者さんが病室で描いていた絵を、病棟に貼ってみたことがあります。絵を見たスタッフがその子に声をかけると、すごくうれしそうで。そのキラキラした目を今でもよく覚えています。医師として治療だけでなく、子どもたちに笑顔になってもらえることもしたいと思いました。
――なぜメタバース美術館を思いついたのですか?
川口 私の知り合いにメタバース空間を手掛けている人がいて、その方が「大阪の小学生とカンボジアの小学生でメタバース上の美術館を開催した」という話を以前に聞いていてました。今回、子どもたちに何をしてあげられるかと考えたときにその話を思い出して、物理的な移動が難しい闘病中の子どもたちにこそ、メタバース美術館がマッチするんじゃないかと考えました。
「空想のいきもの」に映し出された子どもたちの想い
――子どもたちの描いた絵は、どのように展示されているのでしょうか。
川口 子どもたちの作品が、タイトルや説明、作品に込められた思い、そして作者の年齢・性別といったプロフィールと一緒に飾られています。常設的に展示されているのでいつでも作品を鑑賞することができ、作品に寄せられた他の鑑賞者からのコメントやスタンプでのリアクションも閲覧することができます。

作品右側の入力エリアからコメントやスタンプを送信。寄せられた感想は左側の「コメントとリアクション」欄に表示される
――どのように作品を募集したのですか?
川口 入院中の患者さんには応募用紙を配りました。在宅・通院中の患者さんには郵送で送付や、公式サイトの専用フォームから写真やPDFなどのデータで投稿、病棟や外来に設置した応募ボックスからも募集しました。そのほか、医療的ケア児やダウン症の子どもを支援している団体や、大学病院と同程度の規模を持つ小児科のある「四国こどもとおとなの医療センター」に勤める小児がんの先生にも協力をお願いしました。
応募作品のテーマは「空想のいきもの」。応募対象は小児慢性特定疾病の子どもたちと保護者の方です。小児慢性特定疾病は、小児がん、糖尿病、潰瘍性大腸炎など801種類あり(※)、長期にわたること、命を脅かすものであること、治療や病気が生活を脅かすこと、高額な医療費の負担があることを条件に国が定めています。多くの不安を抱える子どもたちに、少しでもワクワクするような体験を届けて、病気による社会的・心理的な孤立感を和らげたいという思いが背景にあります。
※令和7年4月1日現在

外来に設置された応募ボックス。応募用紙には作品に込められた思いも書いてもらった
――どのような作品がありましたか?
川口 応募者のほとんどが香川県内の小学校低~中学年で、約60点もの作品が集まりました。例えば、てんかんの持病がある子は、操り人形になったうさぎの絵を描いていて、自分の意思で体をコントロールできなくなる苦しさが表れています。急性白血病の子が描いた「ちっくんしなくても採血してくれる」いきものの「げんきくん」からは採血の注射をたくさん我慢していることが伝わってきました。

左・自由になれないうさぎ、右・げんきくん
――苦しさや葛藤といった感情が、絵にも現れているのですね。
川口 そうですね、子どもたちは日々病気と闘っているので、そのような気持ちも多いと思います。ただ一方で、潰瘍性大腸炎の子どもがストーマ(人工肛門・人工膀胱)をつくる手術を自ら決断した後、ニコニコと笑う「ネコクラゲ」の絵を描いてくれたことがありました。また、車いすで過ごす患者さんは宇宙を飛んで皆の願いを叶えてくれるペガサスを描き、どこまでも行けるという気持ちがあふれているように見えました。そういった作品を見て、子どもたちはつらい感情だけではなく、前向きな気持ちも持ってくれているんだと安心できました。ポジティブな面とネガティブな面のどちらも絵に表すことで、子どもたちの「自己表現」につながり、精神的な負担を発散できればよいなと思います。

左・ライトブルーペガサス、右・ネコクラゲ
――去年の9月28日に開催されたリアルの展示イベントも大盛況だったそうですね。
川口 香川県高松市丸亀町壱番街前ドーム広場で開催されたリアル展示会イベントには、先ほどお話しした「空想のいきもの」をテーマにした作品約60点の原画が並び、約1000人が来場しました。そもそも「WonderMeta」は、病気とともに生活する子どもたちの作品をメタバース空間に展示し、場所や体調に左右されずに多くの方に見ていただける場を作ることを目標として始まりました。一方で、実際に集まった作品を目にする中で、原画ならではの色づかいや筆づかい、作品から伝わってくる力を、画面越しだけでなく実際の空間でも届けたいという思いも強くなっていきました。
また、リアル展示には、偶然その場を通りかかった方にも作品と出合っていただけるという良さがあります。病気と向き合いながら作品を制作した子どもたちの想いや表現に、一期一会の形で触れていただく機会を大切にしたいと考え、メタバース展示に加えてリアル展示イベントも実施することとなりました。
当日は、「WonderMeta」の活動を知り、「自分と同じような経験をしている子どもたちの力になりたい」という思いから公式アンバサダーを引き受けてくださったインフルエンサーの岸谷蘭丸さんも参加し、来場者に向けて当事者としての想いと、アートの力について熱く語ってくださいました。参加者さんからは、「病気の子どもたちがこんなに明るい絵を描くんだと印象的だった」という声も聞きました。子どもたちに、自分たちの作品が“形”になるという喜びを感じてもらえたらと思い、優勝作品である「ライトブルーペガサス」、準優勝作品の「げんきくん」を活用したグッズも制作・配布されました。

展示会では作品の原画が額縁に入れて飾られている。実際に絵を描いた子どもとその家族、小児がん等の小児慢性特定疾病の子どもたちも来場した

子どもたちの作品が描かれたサコッシュを手に持つ川口さん(左)と、公式アンバサダーの岸谷蘭丸さん(右)
――「WonderMeta」全体の取り組みを通して、どのような反響がありましたか?
川口 作品応募の際、病気と向き合う上で思ったことを書き添えてもらったのですが、そのコメントを見て「子どもの気持ちを初めて知ってコミュニケーションが取れた」という親御さんがいたり、リアルイベントに来場して、「子どもたちそれぞれが持つ背景を見て、心を打たれた」という方もいました。優勝作品の「ライトブルーペガサス」を描いた子の親御さんは「描くのが好きで、いろんなコンテストに応募していたけど、なかなか入選できなくて気持ちが落ち込み始めていたので、今回入賞してくれてうれしい。病気のせいでできないことが多いけれど、自分が輝ける場所を見つけてほしい」と話してくれました。
プロジェクトチームの結成と広がる支援の輪
――多忙な病院勤務のかたわらでの活動ですが、どのように実現したのですか?
川口 私の出身校でもある香川大学教育学部准教授兼小児科医の小西行彦先生と、香川県を拠点として長期入院児と家族の支援をしているNPO法人「未来ISSEY」の吉田ゆかりさん、そして私の3人でプロジェクトチームを作りました。私が小児科医としてまだ日が浅いこともあり、小西先生は小児科医について深い知識をお持ちですし、小児がんの息子さんとともに病魔と闘った経験のある吉田さんは、当事者の目線を持ちながらイベント企画の経験も豊富。以前から、各イベントなどで顔を合わせ、面識のあったこの2人となら、いいバランスでプロジェクトを進めていけそうだなと思い、話を持ちかけました。
「WonderMeta」プロジェクトでは、私が企画立案からメタバース展示制作のプロデュース、作品募集などの全体統括。小西先生は、香川大学教育学部の学生さんとの橋渡しをはじめ、教育活動としての意義づけや、行政・医療関係者との連携など、さまざまな関係者との協力体制をスムーズにつくるうえで大きな役割を担ってくださいました。そして吉田さんには、当事者やご家族とのつながりづくり、アートに関するワークショップの実施、作品の管理などを担っていただきました。また、リアル展示会では小児がん啓発イベントとのコラボレーションという形でもご協力いただき、子どもたちの作品を社会に届ける場づくりを支えていただきました。このように、それぞれの強みや専門性を活かしながら、3人でプロジェクトを進めていきました。

左から吉田さん、川口さん、公式アンバサダーの岸谷さん、小西先生
――川口さんは、他にもユニークな取り組みをされているようですね。
川口 長期入院中の子どもたちを元気づけたいという理由から2022年に「ティラノサウルスレース」の香川県版を立ち上げました。「ティラノサウルスレース」はアメリカ発祥の恐竜の着ぐるみを着て走るイベントで、今では日本各地で行なわれています。香川版では、長期入院を経験したお子さんとそのご家族に着ぐるみを貸し出して、特別招待として参加いただいています。参加者の方々からは、病気とは関係ないイベントに気軽に参加できると、毎年大変喜ばれています。こういった取り組みなどが、今回「WonderMeta」もやってみようと思えた原点だったと思います。

川口さんが立ち上げた「ティラノサウルスレースin有明浜」
――ほかにも、他院の医療従事者や一般のボランティアなど、たくさんの人との関わりがあったと聞いています。
川口 このプロジェクトを進めていく中で、他病院の先生方や香川県子ども政策推進局子ども家庭課、病気の子どもを支えるさまざまな支援団体の方々など、様々な立場の方々に協力してもらいました。今までは医師として治療に携わるだけでしたが、実現したい事があるときに「あの人に相談すればよいアイデアがもらえるかも」と顔の浮かぶ、心強いネットワークを築くことができました。
――昨年実施されたクラウドファンディングでは、200万円を超える支援が集まりましたね。
川口 とてもありがたいです。クラウドファンディングでご支援いただいた資金は、主に第2「WonderMeta」のメタバース開発費として活用させていただく予定です。
第1回では、メタバース空間そのものについては多くの方から高い評価をいただいた一方で、ゼロから開発した空間であったため、利用にあたってアプリケーションのダウンロードやメール登録が必要で、実際に空間へ入るまでのハードルが高いという課題がありました。特に、入院中のお子さんやご家族の中には、病院内のWi-Fi環境などの影響でアプリのダウンロードが難しく、せっかくの展示空間を十分に体験していただけないケースもありました。
そのため第2回では、より多くの方に気軽にアクセスしていただけるよう、ブラウザ上で閲覧できる軽量版のメタバース空間を制作する予定です。また、残った資金については、リアル展示を含むイベント運営に必要な会場設営費、ワークショップ運営費、デザイン費、広報費などに充当いたします。作品を募集し、展示し、多くの方に届けるためには、見えにくい部分も含めてさまざまな費用がかかりますが、子どもたちの作品や想いをより良い形で社会に届けるために、大切に活用させていただきます。
さらに、より持続可能な資金確保の方法として、企業とのコラボレーションにより絵を商品化するようなことも構想中です。自分の描いた絵が誰かを勇気づけ、商品としてお金を払って買いたいと思ってくれる人がいることは、子どもたちの自信にもなります。クラウドファンディングだけに頼るのではなく、スポンサー募集や作品を活用したグッズ展開など、子どもたちの表現をより多くの方に届けながら運営資金にもつなげる方法も含め、持続可能な運営の形を模索していきます。
子どもたちに寄り添う社会に向けて
――プロジェクトの今後の展望を聞かせてください。
川口 第2回の作品募集と展示は、今年の秋以降を予定しています。空間的な制約がないというメタバースの強みを生かして、中国・四国地域から全国にも広げていきたいです。小児慢性特定疾病の子どもたちは全国に10万人以上いるので、そのうちの1%でも参加してもらえたら大きな規模になると期待しています。メタバース美術館の技術的な部分のブラッシュアップも、誰でもすぐに見られる手軽さを追求していきたいです。「WonderMeta」を一過性の取り組みで終わらせるのではなく、病気とともに生活する子どもたちの表現を社会に届け続ける場として育てていけるよう、今後も運営体制づくりに取り組んでいきたいと考えています。
――最後に、絵を見る人にどのようなメッセージを届けたいですか?
川口 小児慢性特定疾病をはじめ、病院の中で暮らし、長く病気と闘っている子どもたちのことをもっと知ってほしいです。退院しても学校に戻れず自宅療養をしている子、通学しながら服薬や通院を何年も続けている子もいます。そうした子たちに、半歩、気持ちを近づけて寄り添える人を増やしたい――例えば糖尿病の子が注射をこっそり打たなくてもいい環境づくりをするなど、どうしたらいいか皆で一緒に考えられる社会になるといいなと思っています。













