見た目・食感はまるで一枚肉! 刻まない嚥下調整食
“誤嚥”は高齢者にとって命にかかわる問題
老化や脳血管障害の後遺症などによって嚥下機能や咳をする力が弱くなると、口腔内の唾液や食べかす、細菌などが誤って気管に入り、肺の炎症を起こしやすくなります。このような誤嚥による肺炎は「誤嚥性肺炎」と呼ばれています。誤嚥性肺炎は2019年の日本における主な死因の6位となっていることから、命にかかわるケースも少なくない病気だということが分かります。
高齢化により、ますます入院患者さんの高齢者の割合が増加していく現状において、病院が患者さんの誤嚥を防ぐためにできることは何でしょうか。
病院で提供する「軟菜食」は課題が山積み
群馬県にある済生会前橋病院では、管理栄養士が企業や大学と協力して病院食の調理法改革に取り組んでいます。各病棟に配置されている管理栄養士は、入院患者さんの日ごろの食事を詳しく観察し、逐一その内容を反映しながらカルテ情報と合わせた個別の栄養管理を実施しているそうです。栄養士長の小野澤しのぶさん(トップの写真)に、病院食を改善するための試行錯誤の過程について伺いました。
「噛みやすさ、消化のしやすさに配慮して、肉や野菜を食べやすい軟らかさ・大きさで調理したものを軟菜食といいます。当院では入院患者さんに軟菜食を提供してきましたが、高齢化でその需要は増加しています」と小野澤さん。
しかし、義歯があっても歯茎のみで食べる患者さんも多く、軟菜食でも嚙み切れなかったり食べにくかったりといった課題が報告されたそうです。応急的に食材を細かく刻んで提供し対処しましたが、「見た目が悪い上、食材の小ささから誤嚥リスクが高まりました。とろみ剤を調整してみたりもしましたが、根本的な解決には至りませんでした」と、小野澤さんは当時直面した難題について振り返ります。
そこで病院は、「見た目を損なわず、食べやすい状態で患者さんに食事を届けたい」という一心で、新しい調理法の開発に乗り出しました。
企業や大学と連携し、おいしくて見た目も良い軟菜食を開発
2014年から始まった開発にあたっては、給食委託会社に協力を依頼。一人ひとり、患者さんの元を訪れて食事の様子を観察する「病棟ミールラウンド」に給食委託会社の社員も同行し、嚥下調整の必要性を共有しながら試作を重ねました。そして2016年、ついに「刻まない軟菜食」の提供を開始することに成功したのです。
その後も、地元の大学の協力を得て、食材のかたさ測定や患者さんの嗜好調査を実施したり、職員で試食したりと、さらに改良を進めました。例えば、自分の歯がほとんど残っていない人でも押しつぶしができるよう食材の軟らかさに配慮。その結果、刻み食の提供を半分近くにまで減少させることができました。
さらに、見た目や食感が単調になりがちな肉料理の改善にも取り組みました。病気や加齢などによって食欲が減退してしまうことも多い患者さんたちが、料理の見た目からも「食べたい」と思ってくれるよう、一枚肉のまま提供する方法を目指したのです。たんぱく質を分解する天然素材の食品軟化酵素を使用して圧力鍋で調理することで、一枚肉のままでも軟らかさ・噛みやすさを保ちつつ、ポークソテーや照り焼きといった視覚的にも食事が楽しみになる軟菜食メニューを実現できました。
病院食のさらなる進化を目指して
入院時だけでなく、退院後も患者さんが安心して食事を楽しめるようにすることも重要です。前橋病院では、市民向けの料理教室を定期的に開催したり、地域の栄養士や給食実務者を対象に研修会を開いたりと、多岐にわたる活動を実施しています。これらの経緯を給食委託会社とともに群馬県栄養改善学会・食事療法学会で演題発表し、2018年の食事療法学会では「優秀演題賞」を受賞。2019年には「令和元年度保健事業等功労者知事表彰」、2020年には「令和2年度厚生労働大臣表彰」も受けました。
さらに充実した病院食を目指す小野澤さんが、今後の課題について自身の思いを語ってくれました。
「栄養科のいまの課題は、介護支援専門員からのリクエストである『自宅で手軽に作れる食事』の実現です。炊飯器や電気ポットなど家庭の調理器具を活用した提案を行ない、地域連携や在宅支援をよりいっそう深めていきたいと考えています」
社会のさまざまな組織や人と連携し、患者さんの「食べる喜び」の実現を目指して活動する病院の管理栄養士。高齢化がますます進む今後、さらなる活躍が期待されます。