困ってからでは遅い。困る前から関わるのが僕らのスタンス
非行防止を呼びかける子どもたち
JR名古屋駅西口。新幹線改札(太閤通り口)を出てすぐの噴水前広場が、彼らのメインステージです。週に一度、たいていは土曜の18時から20時くらいの間、黄色や緑の派手な着ぐるみを着た集団が現れます。ピカチュウ、ドラえもん、ハローキティなどのキャラクターに身を包んだ10代から20代の学生たち。プラカードを掲げる者、募金箱を持つ者、ポケットティッシュを配る者。彼らは横一列に整列して、繁華街に吸い込まれていく人の流れに声をかけます。
「こんばんは、こども福祉センターです。子どもの非行予防の活動を行なっています。街頭募金の協力お願いします」
これが、2013年から続いている全国こども福祉センターの「路上パトロール」です。ほとんどの人は目もくれずに通り過ぎていきます。募金する人などいないと思いきや、5年間の積み重ねでしょうか、何人かの人が「頑張ってね」とねぎらいながら小銭や千円札を投じていきます。
もちろん、活動資金集めのために立っているのではありません。苦しい、死にたいと思っても自分から相談できない、あるいは相談する相手を持たない子どもや若者と接点を持つことが、このパフォーマンスの目的です。中にはティッシュを配る姿も見られます。
「何も持たずにいきなり声をかけるのは難しいです。だから、何らかのきっかけが必要で、それがポケットティッシュ。僕はまだできないけど、慣れてくるとただ手渡すのではなく、『これからどこ行くの?』『危ない店あるから気をつけて』などと注意喚起できるようになります」
ボランティア参加の男子学生が教えてくれました。中にはそれに反応する子がいます。口には出さなくても、寂しいとか、仲間が欲しいというオーラを発する子がいたりします。そういう子との“出会い”のために、彼らは寒風吹きすさぶ名古屋駅の広場に立っていました。
身の丈に合った支援を
東口と西口で全く景色の異なる駅は少なくありませんが、名古屋駅はその代表格でしょう。再開発が進み、超高層ビルが林立する東口はオフィス街。一方の西口は、かつての闇市や歓楽街の名残りか、夜はネオンまたたく繁華街となります。一歩奥へ入れば風俗店が軒を連ね、ひところ世間を騒がせたJKビジネス(女子高生による密着サービス)や、援助交際の温床といわれる相席空間(女性は無料)などの店もあります。
彼らが着ぐるみを着て立っているのはもちろん西口です。
路上パトロールの成果を見極めようとティッシュ配布の動きを注視していると、不特定多数に配るのではなく渡す相手を絞りこんでいることに気づきます。ターゲットは、私服になってもまだ幼さが残る中高生や、同年齢の子をもつ親たちです。配り手の中に一人、相席空間の客引きの何倍ものフットワークとテンションで雑踏に分け入る人がいました。ガチャピンの着ぐるみに身を包んだその人こそ、全国こども福祉センター理事長の荒井和樹さんでした。
「困っている子を人々の中から探し出して、『お前困ってるだろう、支援につないでやろう』なんておこがましいことは考えていません。子どもたちが困っているときに都合よく関われるなんて、僕は思ってないから。自分たちのできる範囲で、身の丈にあったサイズで、支援というのはおこがましいけれど何かできることを一緒に考えたい。活動メンバーはほとんどがボランティアの大学生か、声かけによって仲間になった高校生たちです」
アウトリーチは諸刃の剣
名古屋駅に近い、1階がゲームセンターになっている古びたマンション上階の事務所で荒井さんにお話を聞きました。まず聞いたのは、全国こども福祉センターの特徴である「アウトリーチ」について。アウトリーチとは英語で「手を伸ばす」という意味。施設・拠点型の待つ支援ではなく、電話による相談でもなく、SOSを自分から発信できない子どもたちの世界に自分から飛び込んでいく手法です。子ども・若者を対象にアウトリーチを実践している団体は、国内ではここだけだといいます。
「アウトリーチは直訳すると介入になります。ということは、相手が望んでもいないのに、土足で人の家に上がるような行為になりかねない。諸刃の剣ですね。路上で声をかけるといっても、正直僕らも本人が困っているかどうかの正確な判断はできません。関わっていく中で、情報を得て一番よくないのは、なんでもかんでも支援や病院につなごうというアウトリーチです。精神分野だと、全員施設や病院につなげばいいことになってしまう」
髪型は一見ホスト風、自ら“チャラいでしょ”と言ってのけますが、その素顔は日本福祉大学を卒業し、社会福祉士、保育士の資格を持ち、地元の同朋大学や愛知江南港南短期大学などでは非常勤講師を務める子ども福祉の専門家です。見た目の軽さは着ぐるみと同じで、子どもや若者との距離を縮めるための手段と考えるべきでしょう。
「学生時代から人の成長に関わる仕事をやりたかった。でも、学校の教員とはちょっと違うんですね。学校以外で、子ども・若者の成長に関われる仕事って何だろうと考えた結果、今の活動になった」と自身を振り返ります。大学卒業後は児童養護施設に就職。4年半後に任意団体として活動を開始しました。
予防に力点を置いた福祉活動
活動内容は今と大きく変わらず、声かけボランティア、街頭募金、バドミントン、季節行事などからスタート。当時は東日本大震災に触発されボランティア活動が一気に花開いた時期で、参加者は3カ月で400人を超えたといいます。翌年に法人登記を完了。「子ども虐待防止世界会議名古屋2014」に選出されるなど、活動は徐々に本格化していきます。2014年に事務所を現在地に移し、路上パトロールと、インターネット上(SNSなど)で事件や犯罪につながるような書き込みがないか巡回を行うサイバーパトロールに着手。子ども若者支援を中心とした自立支援マネージャー養成講座とシェルター事業、居場所づくりとしてフットサルコミュニティーの運営を始めました。居場所づくりに参加した10代から20代の子ども・若者は延べ9,000人以上といいます。
「路上に出ている子は行動力のある子だから、自殺はないだろうしまだ安心だと、引きこもりの子と路上の子を分けて考える傾向があるけれど、僕は一緒だと思っています。日々の生活の中でにっちもさっちも行かなくなってから引きこもってしまう。つまり、状況が悪化してから引きこもりになる。大事なのは、そうなる前に手を差し伸べることだと思う」と、活動の第一義は「予防」にあると強調します。
路上パトロールに参加したボランティアの中に、1人だけ背広姿で参加している人がいました。岐阜市で保護観察官をしている松尾祐輔さんです。「日頃から非行や犯罪を犯した後の対処をしている保護観察官にとって、予防のための活動が新鮮に映りました。行政は予防には消極的です。なぜかといえば、成果が見えないからお金をかけられない。そういう意味で意義があると思いました。それと、子ども自身が活動に参加していることですね。大人がやるよりずっと効果的ではないかと思います。ボランティアで来ている子と、路上で声をかけられた子がひとつになって活動しているのもいい」
松尾さんは1年ほど前からプライベートで参加し、今では荒井さんの右腕的存在となりました。岐阜から名古屋まで自腹で通っているといいます。
貧困ビジネスと支援ポルノ
インタビュー中、荒井さんから何度も出てきた言葉がありました。「貧困ビジネス」と「支援ポルノ」です。貧困ビジネスとは、生活保護受給者やホームレスをはじめとする貧困層を標的として、さまざまな手口で金を稼ぐこと。支援ポルノとは、助けてあげるからと弱者にすり寄り、求めてもいない支援を押し売りする行為のことで「助けたいハラスメント」ともいいます。どちらも支援団体が組織運営上陥りやすい傾向にあります。
「例えば今だと、性産業に取り込まれていく少女を救うためと言いつつ、実のところ自分たちの組織を維持するため、少女に声をかけていったり貧困対策に参入したりしていく。そういう団体はメディアに紹介されることで正当化され、結果として行政の補助を得るような事例がたくさん見られます。福祉って、課題が増えれば増えるほど自分たちの既得権益が増えるんです。でも、業務委託や指定管理をとることより本来、制度化されてないことをやるのがNPOだと思う。でも、そこを応援する仕組みが日本には整ってない」
もっと活動の輪を広げたい。それには、メディアやマスコミへの露出度を上げることも考えねばならない。しかし、そうすることで活動の本質を失い、貧困ビジネスや支援ポルノに落ちたかと思われる団体をいくつも見てきました。ここに荒井さんのジレンマがあります。
「SNSがらみの事件が起きると、メディアからコメントを求められます。先の座間9遺体事件でも、多数のメディアの取材を受けました。ただ、メディアが本当に欲しいのは子どもたちの実例なんですね。そんなこと(実例の提供)はできないから、僕は何度も事後対策ではなく予防が必要なことを訴えました。しかし、その部分を放映したのはNHKのみでしたね」
戻れる場所と仲間がいること
着ぐるみの整列が突然乱れ、歓声を上げておしゃべりの場となることがあります。かつて同じように活動に参加していた子が、訪ねてきたときです。そんな光景を何度も見ました。友達を連れて荒井さんに会いに来る子もいます。荒井さんが一番うれしい顔を見せるのはそんなときです。
「活動からしばらく離れていたということは、自分なりに居場所を見つけられたからだと思うんです。そこでまたトラブルが生じたとして、また戻ってこれる場所があり、迎えてくれる仲間たちがいることが大事。だから僕らはいつも同じ場所で活動している。」
路上パトロールの目に見える成果があるとすれば、それは声かけした子とボランティアとの間に仲間意識が生まれ、その子が活動の輪に加わること。年にせいぜい2~3人といいます。しかし、アウトリーチの本領は目に見えないところにあります。路上で声をかけられた1人の中高生からいろいろな子どもたちにつながっていくのです。フットサルやバドミントンに参加した子に共通の居場所ができる、こうした目に見えない成果が活動の推進力になっています。
路上パトロールが始まってから40分が経過しました。防寒コートを着ていても、3月の路上の寒さは骨身にしみます。ボランティアの若者たちはさておき、ワイシャツの上に薄い着ぐるみをまとっただけの荒井さん。あと1時間も頑張るのかと思うと、その体力と気力から彼の熱意がヒシヒシと伝わってきました。
「この歳で路上に出るのはきついし恥ずかしいですよ。40歳になってこの活動をやっているかというと、どうでしょうか。食べていけないことは確かですね。これからはアウトリーチを体系化したり、大学教育の中で反映できるよう、実践を形にしようと奮闘していくかと思います。でも、予防のための活動は僕のライフワークであり続けると思います」
そう言うと、また軽やかなステップで若者たちの輪に戻っていきました。
「団体メンバーの子ども・若者自身が、子ども・若者に対して声をかけている」「支援ではなく予防や教育を目的としている」という、新しいスタイルの児童福祉(子ども家庭福祉)の理念や活動内容を紹介。具体的なアウトリーチスキルや、活動メンバーのインタビューを掲載している。
私たち全国こども福祉センターは出会った子どもたちを「実践者」として迎え、ともにアウトリーチ活動を行なってきました。その数は延べ1万人以上になります。私もそのメンバーで、中学生のときから活動に携わっています。
本書に記載しているアウトリーチスキルは日常生活でも活用できます。私自身、他者との関わりを通して、自分の問題に向き合えるようになりました。
ぜひ、保育・福祉・教育関係者や、少しでも子どもに関わりのある方々に読んでほしい本です。そして、子ども・若者を「要支援者」ではなく「実践者」として迎え入れてほしいです」