作業を通じて自信を持って。職を持てない人と農業をつなぐ
世の中には働きたくても仕事につけない、もしくは職場環境と適合しにくいことで悩んでいる人たちがいます。そんな人たちと、労働力不足に苦しんでいる農業界を独自のプログラムを通じて結ぶのが「農スクール」(神奈川県藤沢市)です。緑あふれる農園で行われている、就農プログラムを取材しました。
仕事につけない人たちと、人手不足の農家をつなぐ
霧雨の中、畑で作業をしている人たちが見えます。
「一口に雑草といってもいろいろな種類があって、その畑・土ごとに生えている草はみんな違います。こういう葉っぱの形をしたのがイネ科の雑草で、刈り方によって分けつ(植物の根元付近から新芽が伸びて枝分かれすること)してしまうことがあります。この種の雑草を除草するときは・・・・」
細身の女性が農作業のイロハを説明します。熱心に耳を傾けるのは、30代から60代の大人11人。市民農園などでよく目にする光景ですが、趣味の菜園サークルではありません。参加者はホームレス、生活保護受給者、ひきこもり、ニート、うつ病で休業中のサラリーマンなど、定職につけていない人たちです。指導するのはNPO法人「農スクール」代表の小島希世子(おじま・きよこ)さん。10年前、体験農園と農家直送のオンラインショップを起業すると同時に、就農支援プログラムをスタートさせました。
「最初はホームレスの人たちを対象にスタートしました。彼らは働きたくないのではなく、就職したくても働き口がないんです。一方で農家は今深刻な労働者不足・後継者不足に苦しんでいる。彼らに農作業を習得してもらい、将来的には農業界で活躍してもらえたらと思って始めました」
参加者の4割強が就職を果たす
6月第3週の水曜日、農スクールを見学させてもらいました。午後1時を過ぎると野良着に長靴を履いた参加者が、集合場所の野菜直売所に集まります。スクールといっても座学はありません。週1度・2時間のプログラムは、すべて畑での実技となります。日を浴びて身体を動かすことで体力がつき、土や自然と触れ合うことで心にゆとりが生まれるのです。
就農支援プログラムは3段階で構成されています。最初の3カ月間は導入編。自分自身と向き合うとともに農作業のイロハを学びます。次の基礎編の3カ月間は、農業への就職を意識したうえで基礎的な農業技術を習得します。この2ターン・半年間をクリアした人は、実際の就職準備に進みます(図参照)。
小島さんは農家直送のオンラインショップを立ち上げているため、全国の農家や農業関係者との間に緊密なパイプを持っています。また、自身も農業に精通しており、全国の農業大学校で有機農業の講義やゲスト講師を務めるなど、豊富な農業技術・知識を備えています。これらの資源と当人の希望や適性を加味して、就職先をマッチングするのです。
法人設立以前も含めると、就農プログラムを開始して10年になります。この間、75人の参加者を受け入れ、31人が就職(アルバイト含む)を果たしました。このうち農業関係に進んだ人は約42%を占めています。
大きくなったら農家をやると決めていた
取材当日は、雨が急に降ったり止んだりする気まぐれな天気でした。畑へ向かう道中傘もささず、参加者を先導していく小島さん。その後ろ姿はとても頼もしく思えます。彼女は生まれたときから、農業に親しんで生きてきました。
小島さんは熊本のとある農村に生まれました。両親は教師をしていましたが、実家の周囲はほとんどが農家でした。小さい頃は、親から“野生のサルのよう”と言われるほどのワンパク娘で、田畑を駆け回り牛舎で遊んでいたといいます。農業が大好きで、ものごころついた頃から「将来農家をやる!」と決めていたそうです。小学校に上がると「いじめ撲滅」を掲げて児童会長に立候補。空手と柔道に熱中し、学校と道場の往復しかない中・高校時代を過ごしました。慶應義塾大学に進むと、「将来は農業をやって、世界の飢餓から人々を救う」という信念のもと、農業に関係のないバイトは一切しなかったといいます。
「ホームレスの自立」と「農業界の人手不足」を同時に解消する──論理的には可能ですが、実現にはさまざまな困難もあるのではないでしょうか。農スクールは現在、ボランティアを含め3名で運営している最小規模のNPO法人です。活動資金は活動を支援する個人や企業によるサポーターからの寄付に頼っています。それでも、不思議な安定感と明るい未来を感じさせるのは、小島さんの情熱と頼りがいのあるキャラクターによるところが大きいのでしょう。
自分に自信を持つ、そんな機会が農業にはあふれている
あいにくの天気にも関わらず、その日のプログラムは順調に進んでいきました。雑草の見分け方、除草のコツ、種のまき方、苗床のつくり方といった農作業の基本をわかりやすく教えていきます。そこには、上から目線の指導や参加者への過剰な配慮といったものは一切感じられませんでした。「ホームレスだから、という色眼鏡で相手を見ている限り、彼らの本質は見えてきません。反対に、私と彼らとの間に、“お互い人間同士”“共に農作業をする仲間”というフラットな関係が築けたとき、彼らの中でよい変化が起こり、自立への一歩を踏み出せるようになる」と小島さん。聞く方も決して受け身ではありません。わからないことは遠慮なく聞き、それを糸口に参加者同士のコミュニケーションが生まれます。みな一様に農作業を楽しんでいる様子がひしひしと伝わってきました。
農スクールの卒業生について、小島さんに話を伺いました。
「以前、卒業生の中に読み書きが苦手で履歴書をきちんと書けない人がいました。それでも、受け入れ農家の方は字を書くのが仕事じゃないからと、意に介さず雇い入れてくれたことがあります。農業にはいろいろな要素があります。畑を耕す、収穫する、袋詰めにする、できた野菜を食べる・・・。さまざまな作業の中から、どれか一つでも自分が得意なものを見つけることができれば、そこに自信が生まれる。自分が有能な働き手となりうる、農園で必要とされるとわかることが彼らの社会復帰のバネになるんです」
多様な人たちと農業を結びたい
畑には、1人のサポートスタッフがいました。小島さんの考えに共鳴し、この3月からアルバイトをしている鈴木禎久(すずき・よしひさ)さんです。鈴木さんは障害者福祉が専門のソーシャルワーカーで、ついこの間まで精神病院に勤務していました。
「園芸療法を担当していたので、農作業のもたらす効果については非常に関心をもっていて、その可能性を病院の患者さんに限らずさまざまな場面で試したいと考えていました。農スクールのいいところは受け入れ対象の幅が広いことです。精神疾患の人もいれば、生活に困窮した人、引きこもりの人、その他社会的弱者といわれる人たちもいます。就農支援をしている団体は他にあっても、ここ以外で“来るものは拒まず”という姿勢のところを僕は知りません」
ただ、その長所が仇になることもあります。行政からの補助金や、制度上の支援協力などが受けられないのです。
「お役所の補助金制度の仕組みは、障害者、生活困窮者、ニートというように、縦割りに区分されています。ウチのように多様性を重視し支援対象が入り混じっている場合は許可が下りず、それがスクール継続の大きなネックになっています」
対象を狭めればことは簡単ですが、小島さんにその気は全くありません。組織を大きくするつもりはなく、今後は自分たちと同じ考えをもってくれる仲間を育てていきたいといいます。そんな小島さんに今年、とびきりの朗報が舞い込んできました。卒業生の中からついに、独立して農業経営を始める人が現れたのです。“職”と“農”をつなげた感慨はひとしおです。農スクールにとって、本当の収穫の季節はこれから始まります。
人と農の両方の再生を目指す女性企業家・小島希世子さん。彼女が働く場所を求める人々と農業を結ぶビジネスモデルを確立するまでの経緯や、運営していく上での困難や葛藤、それをどう乗り越えたかなどをありのままに語る奮闘記です。