多職種ケアとポジティブな声かけでチャレンジを応援!
2024.10.02

両足義足で熊本フルマラソンを完走!
「挑戦を掲げれば人生が変わる」

熊本 済生会熊本病院
Let’s SINC
病気を抱える患者の挑戦を、支えるためのケアを考える

40歳のある日、突然障害のある身体に

今回取材したのは、2024年2月に両足義足でフルマラソンを完走した横田久世さん。

2017年12月、横田さんは突然意識を失い、済生会熊本病院に救急搬送されました。10日間も意識不明の状態が続いた末、診断された結果は「電撃性紫斑病」。感染症などをきっかけに全身に血栓(血管内で血液が固まってできるかたまりのこと)ができ、手足など体の先端から壊死してしまう難病です。主治医となった救急科の川野雄一朗医師を中心に治療を行ない、なんとか一命を取り留めたものの、両手の指、両足の膝から下を切断する決断を余儀なくされました。

横田さんが、そのような状況からフルマラソンを完走するまでには、並々ならぬ努力と周囲からの温かい支援があったといいます。

沿道からの声援を受けながらフルマラソンに挑戦する横田久世さん

思いもよらぬ病気によって両手足の先を失い、障害者の認定を受けることとなった横田さん。医師や夫に、「『なんで私が、こんな姿にならないといけないの』と一生分くらい泣いた」といいます。当時40歳の横田さんには、小学6年生、5年生の2人の娘がいました。「自分の母親が突然障害者になったことは、まだ幼かった子どもたちには受け入れることは難しかったと思います」と振り返ります。

当たり前のことが、ある日を境に当たり前ではなくなってしまった現実。当初、横田さんの口から出るのは悲観的な言葉ばかり。そんな横田さんに、ご家族や熊本病院のスタッフたちは、「この危機を絶対乗り越えてほしい!」という強い気持ちで関わり続け、横田さんも少しずつ、不安や辛さとともに希望を言葉にするようになっていきました。 洗顔・洗髪ができるようになりたい、歩きたい、文字を書きたい、娘の卒業式に参加したい、家族で旅行に行きたい、車の運転がしたい、仕事に復帰したい——。 自分自身の願いを感じ取り、誰かに伝えることが、その後の横田さんの挑戦へと続く第一歩でした。

心身ともに活力を取り戻す! 多職種でリハビリをサポート

横田さんのケアは、主治医をはじめ、看護師、理学療法士や作業療法士などのリハビリスタッフからなる多職種チームで進めていきました。何度も傾聴を重ね、横田さんが感じていること、長期的な目線で叶えたいと思っていることを念頭に置きながら、短期的な希望を一つひとつクリアしていくことを目標にサポートしました。

入院から1カ月が経過した2018年1月には、スタッフが作成した自助具によるセルフケア訓練をスタート。食事、はみがき、スマートフォンの操作など、日常の動作に加えて、横田さんの筆ペンで字が書きたいという希望を叶えるために書字練習も開始しました。リハビリ中は、携わるスタッフ全員で横田さんの思いを共有し、前向きな声かけが行なわれました。

入院から45日目の2017年1月19日、自助具を使って日常生活動作の訓練を開始

そうしたサポートを続ける中で、横田さんの心境にもさらに変化が見られるように。毎日懸命にリハビリに取り組んだ結果、通常では半年かかるところ2カ月で歩けるまでになりました。リハビリを通して「生きている限り、また一から始められる」と気づけたこと、そして周りの支える立場の人が「一緒に未来を向いてくれること」が、挑戦の原動力の一つになったと横田さんは話します。

熊本城マラソンでのフルマラソン完走を目標に

「自分に対して挑戦を掲げることで、本当に人生が変わる」。そう考えるようになった横田さんは、電撃性紫斑病の発症から2年後の2020年、一人でも多くの人に「私は元気だよ!ありがとう」と伝えようという思いを胸に、熊本城マラソンにエントリー。フルマラソンのコースに両足義足で挑戦することを決意しました。

両足義足の横田さんの足もと。あえて異なるタイツのデザインを組み合わせて。マラソン時は別の義足を使用

まず、目標を500mに設定して練習を開始したものの、義足で走り続けることは想像以上に困難で、「絶対に無理だ」とマラソン挑戦の発言を後悔するほどでした。 しかし、横田さんは諦めることなく走り続けます。その年の大会では、どこまで走れるかを知ることを目的として、21.6km地点でのリタイヤ。反省点の振り返りや体力アップなどをひたむきに継続し、2022年12月には、コロナ禍で中止となっていた熊本城マラソンに先駆けて、ホノルルマラソンにも出場しました。

2023年に迎えた2度目の熊本城マラソンでは、自分の実力と練習期間を考えて30km地点を目標に設定し、見事クリア。3度目の挑戦となった2024年2月、それまでの経験を生かして早くから練習に取り組み、ついに熊本でもフルマラソン42.195kmを完走を達成しました。会場には、2020年に熊本病院のスタッフたちから贈られたゴールテープを切る横田さんの姿がありました。

熊本城マラソンのフルマラソン完走時の横田さん

患者さんのチャレンジに、病院ができること

熊本マラソンの完走を振り返り、「障害がなかったときには当たり前過ぎて気づかなかった“人と人が支え合うこと”。そのことへの感謝を忘れないためにも挑戦し続けたい。わたしが講演などの活動をすることで、同じような経験をしている方の光になることができれば」と横田さん。 退院以降、熊本県内の小中学校、障害者支援施設や企業などで、「心の土台の作り方(絶望の乗り越え方)」「自ら選択し自分で未来を切り開く(絶望からの一歩)」といったテーマで講演活動も行なっているそうです。

今も続く横田さんの挑戦。現在の目標は、障害や性別、国籍も関係なく誰もが尊重し合い、笑顔で活動に参加できるようなインクルーシブな団体を作ること。その挑戦の様子をホームページSNSで日々発信しています。2024年8月に熊本県で開催された「火の国まつり」では、55団体、約5000人の踊り手が街中を練り歩くメインイベント「おてもやん総おどり」に「VES! -Valuable Everyone’s Smile!」として総勢100名で参加。身体障害を抱える車椅子の人、義足の人、ダウン症を抱える子どもたちなど、障害があってもなくても楽しめる「場」を作りたいという思いで集まった個性豊かなメンバーが踊り、観客を沸かせました。

「火の国祭り」で笑顔で市中を歩く横田さん

「障害があってもなくても“心”は何の区別もない同じ人間」という考えのもと、さまざまな偏見で苦しむ人を減らす「心のバリアフリー」を目指して活動する横田さん。「日本を明るく!」とさまざまな挑戦を続けるその姿から、たくさんの人が勇気と元気を受け取っています。

患者さん一人ひとりの願いに耳を傾け、本人が自分の力で願いを実現できるよう心身ともに支えることは、病気の苦しさに直面する場でもある病院が担う大きな役割の一つです。

横田さんを中心に、川野医師(前列右)、大賀ももこ看護師(同左)、後列左から上野愛歩看護師、開田亜紀子看護師、渡邊朝子看護師。そのほか多くの多職種スタッフが横田さんの入院中のケアに関わった

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