ホームレスを負のスパイラルから救いたい
2019.03.29

なぜ「ホームレス」に――背景にある社会問題を理解して

東京 特定非営利活動法人TENOHASI
Let’s SINC
「ホームレス」の生活・医療サポートを多角的に行ない、公的支援を受けるための橋渡しをする
ピーク時に比べるとその数は減っているものの、いまだ全国にはホームレス状態にある人々(以降は「ホームレス」と表記) が約5,000人いると言われています。彼らはなぜ「ホームレス」になるのでしょうか。なぜ「ホームレス」生活から抜け出せないのでしょうか。その背景には大きな社会問題があります。「ホームレス」への生活、医療サポートを多角的に行なっている特定非営利活動法人TENOHASIで事務局長を務める清野賢司(せいの・けんじ)さんに話を聞きました。

温かい食事と自立への第一歩を提供

取材に訪れた2月9日は、都心でもこの冬一番の寒さでした。都内の拠点に30人近いボランティアが集合し、午前中から炊き出しの準備を始めます。約400食分の食材を切って煮炊きをし、でき上がった料理を都内の公園まで運び、会場を設営します。炊き出しの開始は18時からですが、17時にはもう列ができ始めていました。配食する前に、ボランティアが衣類やコーヒーを配布していました。

炊き出しの準備をするボランティアスタッフたち。年齢はさまざまだ

厳しい寒さの中で、会場は意外なほどに明るい雰囲気でした。ここで久しぶりに顔を合わせる人たちも多いらしく、互いに挨拶を交わしたり、なごやかに話をしたりしている光景が多く見られました。長年ボランティアをしていて顔見知りになっている人や、元「ホームレス」で炊き出しの手伝いをしている人もいるようで、「ホームレス」たちと楽しそうに言葉を交わしています。「どうしてる?」「元気?」といった何気ない会話が、そこかしこから聞こえてきました。

この炊き出しを主催しているのは、都内を中心に活動している特定非営利活動法人TENOHASI。2003年12月に、池袋でホームレス支援を行なう団体など3団体によって結成され、2008年には「特定非営利活動法人TENOHASI」となりました。現在は月に2回の炊き出しに、週に1回のおにぎり配布と夜回り。さらには鍼灸マッサージや衣類配布、お茶の会など、さまざまな支援活動を行なっています。

「TENOHASI」とは、2012年結成時の団体名「地球と隣のはっぴい空間・池袋」を英訳(The Earth and Neighbor Of Happy Space Ikebukuro)し、頭文字を繋げたものです。

炊き出しをする横のテントで「ホームレス」の生活相談に乗っているのは、TENOHASIの事務局長を務める清野さんです。清野さんの元には「路上生活から抜け出したい」と訴える「ホームレス」がひっきりなしに訪れます。それもそのはず、炊き出しと同時に行なわれるこのブースには、年間100人以上が相談に来るのです。清野さんは一人ひとりの言葉にじっくり耳を傾け、炊き出しが終わるころには近くのカフェに移動して相談に乗り続けました。

「この相談こそが大切なんです。ここから生活保護の申請や仕事、住居のサポートへとつながり、自立のための第一歩となりますからね」(清野さん)

「ホームレス」男性の相談に乗る清野さん

中高生の暴行事件をきっかけに「ホームレス」支援へ

中学校の社会科教員だった清野さんが「ホームレス」問題に関心を持ったきっかけは、ある事件でした。2002年1月、東京都東村山市で中高生が1人の「ホームレス」男性を集団で暴行し、死に至らしめたのです。清野さんは数年前まで、東村山市の中学校に勤めていました。

「一教員として非常にショックを受けました。地元で起こった事件ということもあり、とても自分に関係のないこととは思えなかった」

特定非営利活動法人TENOHASI事務局長の清野賢司さん

この事件以降、清野さんは「『ホームレス』問題」に関心を持つようになります。支援団体の活動を積極的に手伝い、実際に「ホームレス」と触れ合うことで、彼らについて多くのことを学んでいきました。

ボランティアを続けていた清野さんは2006年、TENOHASIの事務局長に就任。活動に専念するために教職も早期退職し、以後は同団体の中心メンバーとして本格的に活動することになります。

清野さん以外のTENOHASIメンバーも、さまざまな経緯で活動に参加しています。ひときわ明るい笑顔で炊き出しの場を仕切る20代の女性は、中学3年生のときに母親と一緒に炊き出しの手伝いをし、それから7年間ボランティアを続けています。炊き出しへの思いを聞くと、確かに手伝うことの喜びはあるが、一方では複雑な思いも抱えているとうつむきました。

「長年、炊き出しに参加して、常連の人と挨拶を交わしたりするようになりましたが、彼らがずっと路上生活から抜け出せていない現状を見ると、色々と考えてしまいます。でも、この場はご飯や衣類を受け取るだけではなく、彼らにとって大事な交流の場、癒やしの場にもなっているのだと思うと、大切な場所には違いないと思います」

ボランティアの20代女性

元「ホームレス」から、現在は自立しボランティアとして参加している人もいます。炊き出しの現場で案内役などの手伝いを買って出ている“ナベさん”です。

「20年間『ホームレス』だったので、炊き出しに来る人の気持ちはよくわかります。今は自活していますが、お世話になったTENOHASIを手伝いたくて炊き出しと夜回りのボランティアをしています。顔なじみになった人と『元気?』とか互いの無事を確かめ合えることはうれしい。お手伝いはこれからもずっと続けていきます」

なぜ「ホームレス」はいなくならないのか

厚生労働省の調査によれば、「ホームレス」の数は年々減少傾向にあります。2003年には日本全国で25,296人と推定されていましたが、08年には14,707人、13年には7,071人、18年には4,997人。しかし、「昼間は出稼ぎに出て夜だけ屋外で寝泊まりするなど、調査から漏れてしまっているだけで数はそこまで減っていないのでは」と清野さんは指摘します。「『仕事が増えて人手不足なのに路上生活をしている人は怠け者だ』と考える人もいると思いますが、その背景には社会問題があります」

「ホームレス」の中には貧困家庭出身者、発達障害や軽度の知的障害を持っている人が少なくありません。そういったハンディにより社会からドロップアウトしやすく、さらに二次障害として、統合失調症や、アルコール、ギャンブルへの依存症に陥る人も多いと考えられています。2008年から2009年に池袋の「ホームレス」164人を対象に行なった調査では、41%に精神疾患、34%に軽度知的障害の疑いがあることがわかりました。また、半分以上の人が高校を卒業していません。「ホームレス」の多くは単に住居を持たないというだけではなく、医療的・社会的サポートを必要としている人たちなのです。

もちろん彼らには支援を受ける権利があります。しかし彼らはそのことを知らないまま社会からはじき出されてしまいます。仮に彼らが生活保護を受給できても、格安で住居を提供すると近づき、生活保護費のほとんどを取り上げるような貧困ビジネスがはびこっています。そんな状況では、住むところがあっても就職活動すらまともにできません。ストレスに耐えられない人は再び外に放り出され、路上生活に戻ってしまいます。そんな負のスパイラルから「ホームレス」を救いたい、清野さんはそう語ります。

「『ホームレス』は路上生活に満足しているわけではなく、きちんと自立したいと思っています。でも、現在の生活保護や福祉では救えない人たちがいて、その人たちが今も路上に取り残されています。そこで、私たちが彼らのサポートをするんです」

例えば、「ホームレス」が生活保護を受けるために役所に出向くときは、清野さんらが事前に話を聞き、レポートにまとめて役所との橋渡しをします。このような多角的な支援により、「ホームレス」たちが自立できるような体制を整えているのです。

新しいコンセプト「ハウジングファースト」

「ホームレス」が生活保護を受給すると最初に紹介されるのが、「無料低額宿泊所」と呼ばれる民間経営の寮です。寮といっても設備は不十分で、多くは狭い相部屋での暮らしになります。共同生活には、どうしても人間関係の問題がついてまわります。他の人となじめず、寮を飛び出しては路上生活に戻り、また別の寮に行き、また飛び出して……と、繰り返す人も多くいます。

「みんな、自分だけの安住の場が必要なんです。そこで考えたのがハウジングファーストでした」(清野さん)

2010年、TENOHASIを含めた東京の3団体(現在は7団体)が共同で「ハウジングファースト東京プロジェクト」を立ち上げました。「ハウジングファースト」とは「アパート生活ができることを証明したらアパートに住むことが許される」という従来型の福祉施策ではなく、「無条件にアパートを提供し、それから支援する」という新しい「ホームレス」支援の考え方のことです。1980年代にアメリカで始まり、「ホームレス」が自立するために有効な方法であることが証明されました。以後は世界各国でこのコンセプトが取り入れられ、確かな成果を上げています。ただし日本ではアパートの初期費用が高いため、多くの「ホームレス」たちに住居を提供することはそう簡単ではありません。それでも清野さんは、日本でもこのプロジェクトを進めたいと考えています。

「10年後、20年後は、これがスタンダードになるように頑張りたい」

困難はありますが、ハウジングファーストという方策には成功の見込みを感じています。それを信じ、これからも活動を続けていきます。

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