「被災者が帰れる町に」被災地の医療を支える“復興診療所”
被災地にできた診療所
2021年3月11日で、東日本大震災から10年になります。東北地方を中心に起こった、未曾有の大災害。10年という時を経ても、被災した人々の記憶が薄れることはありません。岩手県内の自治体で最大の被害を受けた陸前高田市は、死者・行方不明者合わせて約1800人。当時人口約2万3000人だった市街地は建物がほとんど津波で流され、がれきの山となりました。そんな被災地の復興を医療の面から支えるため、震災から約4年半後の2015年10月に市内にオープンし、以来地域の医療を支え続けている診療所があります。陸前高田市気仙町(けせんまち)にある、済生会陸前高田診療所です。
意義があった仮設オープン
陸前高田診療所をオープンさせたのは、元常陸大宮済生会病院・名誉院長の伊東紘一さん(トップの写真)。陸前高田出身の妻の家族が震災で犠牲になり、捜索に当たるためこの地を訪れました。捜索のかたわら避難所の人々の診察を行なったとき、感じたのは「この人達は今後どうなるのだろう」という心配でした。自治医科大学で教授を務めていた際、教え子たちに地域医療の大切さを説いていた経験もあり、自らも「余生をこの地にささげよう」という覚悟で、診療所のオープンを決めました。
「1日でも早く」との住民の声に応え、予定より1年以上早い2015年10月、予定の場所から約1.6キロ離れた地元スーパーの倉庫を借りて改装し、仮設診療所として診療を開始しました。
初日の受診者は5人。なんとその中に、白血病が見つかった患者さんがいました。「最近疲れる」と言って訪れたところを診察し、検査した結果、病気が判明したのです。その患者さんは、「病院なんか嫌いだ」と医療機関にかからずにいましたが、「診療所ができたから」と来所したところでした。伊東院長は「もし開院していなかったら、病院を受診しないまま、どこかで倒れていたかもしれません。この人が受診しただけでも、10月1日に開院した意義があったと思いました」と語ります。
診療所を中心とした地域包括ケアのモデルに
その後、本設の診療所は2017年2月にオープンしました。
伊東院長によると、陸前高田はもともと医療サービスがあまり行き届いていなかった土地。病院や医師の数が不足していただけでなく、医療の質も十分でなかったといいます。
そんな陸前高田において、診療所が行なってきたのは「患者さんの話をしっかり聞く」「自分たちの技術を最大限に使い、スピードを大切にする」「薬の副作用などの情報も患者さんにしっかり伝える」といったこと。ごく当たり前のようなことの積み重ねこそが誠実な医療なのです。
患者さんに対して誠実に向き合ってきた結果、現在診療所のカルテ登録数は延べ9200人以上。人口約1万8000人の陸前高田市において、町のおよそ半数の人々が診療所を利用している計算になります(2021年3月現在)。
また、診療所の役割は医療の提供だけではありません。「震災で家族や友人を失い、『自分だけが生き残ってしまった』という思いを抱えている人がたくさんいます。そういったつらい気持ちを抱えた人々の話し相手になることが重要です」と伊東院長は語ります。診療所は、人々の心のよりどころとしても、まちづくりに大きな役割を果たしているのです。
陸前高田診療所が将来的に目指しているのは、医療の面のみならず、生活の面からも患者さんを支える地域包括ケアです。診療所内に畑を作って、利用者の雇用を生み出す場にするという目標もあります。
「『生活』というのは、住む家があり、生きがいがあり、コミュニケーションができて笑いがあり、そして、仕事があることです。この地域包括ケアシステムの仕組みを成功させて、日本中に広めたいです」と伊東院長。
震災から10年経った現在も、まだ復興の途中である陸前高田市。これからも、地域の医療の中心地として、また人々の憩いの場として、陸前高田診療所は歩み続けます。