誰も取り残さない「インクルーシブ防災」――
災害時に支え合える強い地域を楽しみながら創る
「インクルーシブ防災」で「要配慮者」を救う
「インクルーシブ防災」とは、東日本大震災の被災地である宮城県仙台市にて2015年に行なわれ国連防災世界会議で採択された「仙台防災枠組 2015-2030」において、国際的なスタンダードとして位置づけられた概念で、障害のある人、高齢者、子ども、外国人など、誰一人取り残さずに災害から守るための考え方・取り組みを指します。
静岡県立大学短期大学部で福祉防災を研究する江原勝幸准教授は、次のように説明します。

静岡県立大学短期大学部 社会福祉学科 准教授
西豊田学区地域支え合い体制づくり実行委員会 代表
江原勝幸さん
“インクルーシブ”には『包み込む』という意味があります。逆に言えば、誰かの支援が必要な人や自分で逃げられない人を“排除(エクスクルーシブ)”しないということです。これまでの防災は、健常な大人を想定して計画されがちで、要配慮者のニーズは“例外的なもの”として別枠にされてきました。しかし、インクルーシブ防災は、障害のある人を始め、高齢者、乳幼児、持病のある人など、最初から多様な人のニーズを前提に置き、誰一人取り残さずに地域の備えを進めるという視点の転換を求めるものです。

また、インクルーシブ防災において特別な配慮が必要な人々を「要配慮者」といいます。以前は、「災害弱者」という言葉が一般的に使われていましたが、2013年に災害対策基本法が一部改正された際に定義が明記されたことをきっかけに、全国で広く使われ始めました。
要配慮者が抱える災害時の課題はさまざまです。身体障害を理由に一人で移動することが困難な人や、障害者や外国人など避難に必要な情報を得ることが難しい人。普段とは違う避難所の環境でじっとしていられない小さい子どもや知的障害のある人、排泄介助が必要なためにトイレを我慢してしまいがちな高齢者。乳児への授乳スペースが確保できない母親など、必要な「配慮の種類」は多岐にわたります。
これらすべての人に対応できるように避難計画を予め整えておくのは現実的に難しいと、全国の被災地で災害ボランティアに参加し、全国各地でその経験を伝える防災教育の講演を行なう消防設備士の岡村智樹さんは指摘します。

樹実防災株式会社 消防設備士
西豊田学区地域支え合い体制づくり実行委員会 メンバー
岡村智樹さん
防災の基本的な考え方として、「自助・公助・共助」というものがあります。国や地方自治体が準備する避難所や避難計画は「公助」に当てはまりますが、多種多様な要配慮者へのケアをすべて公助に依存するのは、経済的にも人員的にも、混乱を極める被災現場では難しいでしょう。そこで大切になってくるのが、「自助」「共助」です。
一般的な防災グッズの備えから、持病の常備薬、家庭用発電機、アレルギー対応食、住居の耐震補強など、「これがなくなると生きられないもの」を平時から考え準備する「自助」は、防災において、最も基本的な考え方です。
また、インクルーシブ防災の考え方では、行政の支援では手の届かない場所を、被災者同士で助け合うこと、つまり「共助」がとても大切です。例えば、日頃から住民同士で非常時の懸念点を共有し合ったり、具体的なケアをお願いできる関係性を築いておくことで、何かあったときに、声かけや対応がスムーズになり、要配慮者の命を守ることにつながります。

静岡市西豊田学区で立ち上がった、住民主体の防災組織
そんなインクルーシブ防災の分野で、全国でも先進的な取り組みをしている団体が、静岡市にある「西豊田学区地域支え合い体制づくり実行委員会(以下、『委員会』)」です。

左から、お話を伺った「西豊田学区地域支え合い体制づくり実行委員会」の岡村智樹さん、今橋泰晴さん、増田信さん、望月亜紀さん、江原勝幸さん、吉田令子さん(藤枝市防災士委員会代表)、藤澤弘子さん(復幸ボランティア やらざあ駿河 共同代表)、渡邊紘透さん(済生会特養小鹿苑 社会福祉士)
委員会の代表を務める江原さんは、会の立ち上げ動機について次のように語ります。
こうして2016年に結成された委員会は、現在、大学、PTA、企業、防災専門家、そして小鹿なでしこ苑のような福祉施設が連携する、日本でも珍しい住民主体の防災組織へと成長しました。
楽しく、主体的に、ともに――支え合いの輪を広げる年間活動
委員会は、地域の人たちが非常時に助け合える関係性を平時から生み出すために、「楽しく、主体的に、ともに」をモットーに年間を通じてさまざまなプログラムを実施しています。
1. 事前研修「福祉防災セミナー」
地域住民を対象とした基礎講座です。西豊田学区の被害想定を学び、能登半島地震などの最新の被災地支援報告を聞くことで、自助・共助・公助、それぞれの必要性について参加者全員で考えていきます。

静岡県立大学の講堂で行なわれた2025年のセミナーには、地域住民をはじめ80人が参加した
- 2. 防災ワークショップ
セミナーでの知識をより具体化する場です。静岡県が推奨する「ジュニア防災士」の養成講座や、実際に避難リュックに入れるものを考えるワークショップ「ぼうさいNURIE」、静岡県立大学短期大学部の学生による防災クイズなどを実施し、多世代が楽しみながら「自分ごと」として考えられる工夫を凝らしています。

子どもたちが塗り絵を楽しみながら、保護者と一緒に避難リュックの中身を考えていく防災教材。遊び感覚で日々の備えについて考えられるとして、ワークショップでは、障害者や高齢者にも大人気だという
3. 実践訓練「避難所の要配慮者支援」
学区の指定避難所となる小学校の体育館での1泊2日の宿泊型訓練です。日中は避難所運営訓練「リアルHUG」を実施。要配慮者役の参加者は「外国人」「毛布を持って帰りたい人」「泣き止まない赤ちゃん」などの役割が記された紙を渡され、その他の人は避難所の運営役としてその対応に奔走します。
また、夜間は新聞紙6枚分のスペースが一人ひとりに割り当てられ実際に体育館での宿泊を体験。冬の体育館の底冷えや、段ボールベッドの寝心地、体育館に響く夜間の足音など、避難所の過酷さを生で実感することで、避難所生活に向けてそれぞれが備えておいた方が良い物品や心持ちについて考えます。


4. シンポジウム
年間の活動をやりっぱなしにせず、課題を次年度へつなげる場です。訓練の成果発表や、「仮設トイレが体重の重い障害のある方には不安定だった」といった参加者の感想に対する改善策を検討し、地域の防災力を継続的に向上させていきます。
住民たちが自然と集まる「かまどベンチ」
また、2024年度より始まり、地域の防災意識とつながりの構築に一役かっている活動が「防災かまどベンチ」です。
「防災かまどベンチ」とは、一見すると公園や学校の校庭にあるごく普通のベンチですが、災害時にはその姿を変え、人々の命をつなぐ炊き出し用の「かまど」として機能する防災設備です。平時は憩いの場として住民に利用され、ライフラインが寸断されるような非常時には、座面部分を取り外すことで鍋釜を乗せられる状態になり、薪を使って煮炊きができるようになります。
普段は憩いの場のベンチ、災害時には炊き出し用のかまどになるこの設備。委員会メンバーで、建設業を営む今橋泰晴さんは、「既製品を置くのではなく地域住民がイチから手作りすることに意味がある」とこの活動に対する思いを語ります。

株式会社小鹿建設で代表取締役として働く一方、3児の父として西豊田小学校のPTA副会長も務める今橋さん

西豊田小学校PTA 副会長/株式会社小鹿建設 代表取締役
西豊田学区地域支え合い体制づくり実行委員会 メンバー
今橋泰晴さん
かまどベンチは、建設業が本業の私であれば、簡単に作れてしまうのですが、あえて子どもたちや障害のある人など地域の方々に工具を握ってもらっています。一緒に汗をかくことで住民同士の交流が自然と生まれ、完成したベンチにも愛着が湧きます。
災害時、「かまど」そのものが役立つのはもちろんですが、この活動を通じて防災を自分事と捉えた経験や、助け合える関係性こそが、大きな力になるはずです。
現在、かまどベンチは静岡市立西豊田小学校を皮切りに、静岡市立豊田中学校、特養小鹿なでしこ苑、地域で障害者支援を行なう「NPO法人 ひまわり事業団」の4カ所に設置され、今後は地域の児童公園への設置も計画されています。
コラム:CSWがつなぐ「福祉」と「地域」
地域の済生会特別養護老人ホーム 小鹿なでしこ苑からは、CSW(コミュニティソーシャルワーカー)の望月亜紀さんが委員会に参加しています。
CSW(コミュニティソーシャルワーカー)とは?
地域で支援が必要な人を見出し、人間関係を考慮して解決へ導く専門職。
主に社会福祉協議会などに所属し、行政等と連携して最適な支援機関へつなぐほか、地域に住む全世代が孤立せず暮らせる「まちづくり」の仕組みをつくるため、見守りや地域活動への参加支援など幅広く活動しています。

済生会 特別養護老人ホーム 小鹿なでしこ苑 CSW
西豊田学区地域支え合い体制づくり実行委員会 メンバー
望月亜紀さん
CSWとしての仕事内容を一言で言うのは難しいのですが、地域のサロンなどへお邪魔して、日常の交流から何かあったときに「望月さんが来た時に相談しよう!」と思っていただける関係作りを大切しています。
インクルーシブ防災の活動では、介護の視点から避難所の備えについて意見を出したり、逆に江原先生や岡村さんからアドバイスをもらいながら、小鹿なでしこ苑にポータブル電源を配備したりと、微力ながら福祉と防災をつなぐ役割に努めています。
また、直近では、望月さんが地域の活動を通じて知り合ったボランティア団体「なまけもの」のスタッフ3人が、小鹿なでしこ苑を訪れ、車椅子の洗浄作業を手伝ってくれたといいます。

同市で済生会が運営する特別養護老人ホーム小鹿苑では介護長も務めた望月さん。2024年4月に小鹿なでしこ苑に着任し、同施設のCSWとして地域と施設をつなぐ役割を担う

済生会 特別養護老人ホーム 小鹿なでしこ苑 施設長
増田 信さん
正直に言えば、いつだって人手が足りない現場からリーダー経験もあるベテランの望月を、CSWとして地域に送り出すのはとても勇気がいることでした。でも、実際に彼女が地域に深く入っていく中で、驚くほど大きな変化がありました。
これまで、特別養護老人ホームという場所は、どうしても地域に対して閉鎖的になりがちでした。でも、“インクルーシブ防災”という共通の目的を通じて、望月が地域のいろんな方と付き合うことで、小鹿なでしこ苑と地域との間につながりが生まれた。今では、地域の人から「望月さんいますか?」と名指しで相談の電話が来るほどです。施設が地域に溶け込み、『何かあったら小鹿なでしこ苑がある』という安心感を地域に提供できている。これは、単なる福祉サービスの枠を超えた、当施設にとっての大きな財産です。彼女を送り出して本当によかったと、今では確信しています。
「支え合い」を文化に――インクルーシブ防災のその先
西豊田学区地域支え合い体制づくり実行委員会の取り組みは、全国的にも珍しい住民が自主的に行なうインクルーシブ防災の取り組みで、その活動は地元テレビや新聞でも取り上げられるなど注目を集めています。
委員会の江原代表は、今後の展望として、「活動を通じて、住民一人ひとりの防災意識を高め、『誰かの困り事を自分の問題として捉えられる』地域文化を創造していきたい」と語ります。「“防災”をキーワードに地域がまとまり、隣人同士が互いの課題を平時から共有し合った先には、災害の有無にかかわらず、全ての住民が安心して暮らせる「インクルーシブなまちづくり」があるのではないでしょうか」
小鹿なでしこ苑の増田施設長も、「この活動を通じて、特養という枠を超えて地域社会に貢献し、福祉と防災の連携のモデルケースを全国に示していきたい」と、今後の決意を語りました。
災害はいつ起きるかわかりません。西豊田学区の「顔の見える」連携体制は、私たち一人ひとりが、自分の暮らす地域で「誰かの支えになる」というインクルーシブ防災のヒントを与えてくれます。この活動をきっかけに、あなたも地域での「支え合い」について考えてみませんか。

2025年に小鹿なでしこ苑に設置された「防災かまどベンチ」。施設の利用者からは「これでみんなでバーベキューができるね」とほほえましい声が聞こえたという















江原代表:実行委員会ができる10年以上前から静岡市障害者協会が主催して、各地で宿泊型の防災訓練をやってたんですよ。私たちもそれに参加していたんですけど、そのイベントは単発的なもので、1年に1回の防災訓練以外でメンバー同士が関わり合うことがあまりなかったんです。せっかく防災意識の高い住民や専門職が集まっているのだから、もう少し密な関係性で災害に備える組織が作れないかと当時から考えていました。
そんな中で、2015年頃には、障害者協会の全国的な指針として「避難所に行くよりも在宅避難や福祉避難所を推奨する」という方向に舵を切って、宿泊型訓練自体が幕引きとなってしまいました。この静岡市の現状を見れば、自治会は役員不足で高齢化が進み人手不足。住民同士の関係も弱まっている。在宅避難や福祉避難所だけでは、要配慮者全員のケアは難しいと感じたんです。
だったら、有志でチームを組めばいいんじゃないか。そう考えて、小学校での宿泊型防災訓練を途切れさせないよう立ち上げたのが、この委員会なんです。