地域の人に頼られる
復興診療所がまちをつくる
2026.01.20

岩手県最大の被災地で済生会の“復興診療所”が重ねた10年

岩手 済生会陸前高田診療所
Let’s SINC
被災地を医療の力で支え、最期まで自分らしい生活を地域で支える体制を目指す
東日本大震災で、岩手県陸前高田市は県内自治体で最大の被害を受けました。市内だけで、死者・行方不明者1800人以上。復興を医療から支えようと立ち上がったのは、茨城県にある常陸大宮済生会病院の伊東紘一名誉院長でした。2015年10月に仮設診療所で診察を開始し、2017年2月には高松宮記念基金を活用した建物が竣工。その後も地域に根差して医療を提供し続け、2025年10月に診療所は10周年を迎えました。「診療所を中心にまちができるようにしたい」という思いを持つ伊東紘一所長に、これまでの歩みと、未来に描く診療所のあり方を聞きました。

―東日本大震災が発生した後、伊東先生が陸前高田に行くことを決めた経緯を聞かせてください。

伊東2011年3月、陸前高田市は16m以上にもなる津波に襲われ、まちは壊滅しました。陸前高田は妻の出身地で、妻の母や弟、親戚も犠牲になりました。一緒に捜索をするかたわら、遺体安置所で身元確認をしたり、避難所の人達の診察にも当たりました。私だけでも無惨な約800人の遺体を診ましたが、その間に1800人以上の市民が亡くなり、生き残った人も過酷な状況に置かれている様子を目の当たりにして、陸前高田の地域医療に余生を捧げようと決めました。

―伊東先生のその後の人生を動かす出来事となったのですね。

伊東幕末~明治時代の蘭方医である関寛斎という人は、72歳で現在の北海道十勝・陸別町に入り、その後10年にわたって開拓と医療に携わりました。彼は「空しく楽隠居たる生活し、以て安逸を得て死を待つは、此れ人たるの本分たらざるを悟る事あり」という言葉を残しています。つまり、漫然と隠居生活を送るのは、本来の人としての生き方ではないということです。私もほぼ同じ74歳のときに陸前高田に来ました。

「この診療所は典型的な『総合診療医師』の仕事をする場。医学生や研修医にとって良い経験の場にもなっている」と語る伊東先生
2015年に開設した仮設診療所。「1日でも早く 」との住民の声に応え、陸前高田市竹駒地区にあるスーパーの倉庫を借りて改装して診療を開始した

総合診療医師として、住民たちの心身の健康を守る

―この10年で、延べ14万人を超える患者さんを診てこられました。

伊東多くの被災者の方をはじめ、気仙地域の患者さんを診察してきました。済生会内外の医療機関の整形外科からも毎週診療応援に来ていただいており、大変ありがたいことです。
また、この10年で56人の患者さんを在宅で看取りました。在宅診療から介護施設への入所や、病院への入院後に看取った人もたくさんいらっしゃいます。

―どのような疾患の患者さんが多いのでしょうか。

伊東高齢の患者さんが多く、県内の男性最高齢者で108歳(2025年現在)の方もいます。認知症や高血圧症、高脂血症、糖尿病、変形性股関節・膝関節症などの疾患が主ですが、その他にも骨髄線維症、サラセミアマイナー(遺伝性の貧血)、心筋梗塞、慢性閉塞性肺疾患(COPD)、各種がん、皮膚科、小児科、産婦人科、精神科や心療内科的な疾患などなど……。疾患以外にもトゲが刺さった患者さんも来ますし、まさに「総合診療医師」として応対する多様な症例がみられます。

―内科、整形外科の範囲を超えていますね。

伊東この診療所は、典型的な総合診療医師の仕事場です。医療現場は専門領域への分化・分業が進んでいますが、総合診療医師は、心臓だろうと、肝臓だろうと、血液だろうと、内科や外科の区別なく全部に対応します。その場ですぐに検査をして、正確な診断に早く到達することが重要だと考えています。また、被災地として、心のケアも継続的に必要です。震災時の辛い思いを、何年も経ってから少しずつ話せるようになった人もいます。

患者さんの診察では、会話をする時間も大切にしている

―特に記憶に残っている患者さんはいらっしゃいますか。

伊東10年前の10月1日、診療所開設初日の受診者の中に、白血病の方がいたことは印象に残っています。「最近疲れる」と言っていらっしゃったので診察すると、検査の結果、白血病であることは確定的でした。もともと、「病院は嫌いだ」とほかの医療機関にはかかっておらず、診療所が開設されたからということで来院されました。もし開院していなかったら、受診せずに、どこかで倒れていたかもしれません。この方が受診しただけでも開院した意義があったと思いました。

2017年には気仙町に待望の本設診療所が完成。午前9時から診療を開始し、初日は22人が受診した。診療科は内科と整形外科で、訪問診療や訪問看護も行なう。整形外科は毎週金曜、済生会内外から協力医師が交代で診療している
陸前高田市民文化会館・奇跡の一本松ホールで開催した創立10周年記念演奏会。地域住民など約600人が日本とイタリアの歌やオペラを楽しんだ

―長い医師人生の中で、陸前高田診療所での10年をどのように感じていますか。

伊東東京の日大医学部を卒業後、駿河台日大病院を経て、栃木県の自治医科大学での研究活動、茨城県の常陸大宮済生会病院の創立に関わるなど、場所を移りながら常に新しい世界を目指して力を尽くしてきました。そうした流れで考えると、陸前高田に来てはじめたこの診療所でも、医療にとどまらず、生活支援も含めた地域包括ケアの場をつくるという新しいチャレンジを目指した10年でした。

―診療所を開設した2015年から10年間にわたり目指して来た、診療所を核とした地域包括ケアモデル事業とは、どんな取り組みなのでしょうか。

伊東地域包括ケアとは、安心できる「住まい」を基盤に、医療や介護などの専門サービスと生活支援が連携し、最期まで自分らしい生活を地域で支える体制を指します。当初は「こんな何もないところにどうして診療所を作ったの」と言われたこともありました。ヨーロッパでは、教会や病院がある周辺に家が建ち、まちができる。何もないからこそ、ここに皆が帰ってくるために診療所を設立したのです。

―現在はまちも少しずつできてきて、診療所は地域住民にとってなくてはならないもの、つながりの場にもなっているのではないでしょうか。

伊東済生勅語の中に書かれている、無告の窮民(困っていることを告げることもできない人)にも施薬救療(無償で治療すること)によって支援することはもちろんですが、「衆庶ヲシテ頼ル所アラシメムコトヲ期セヨ」、つまり、地域にとって頼れる存在になるということが一番重要だと思っています。

へき地医療と被災地での診療活動を学びたい医学生や、地域医療研修として臨床研修医が来訪することも。地域に根差し、医師を育てる役割も果たしている

―2023年には、伊東所長が臨床検査医学や超音波医学の教育・研究に長年尽力された功績が評価され、春の叙勲で瑞宝小綬章を受けていらっしゃいます。2015年に話をお伺いした際には、「棺桶に入る前日まで働く。あと20年は続ける」と話していました。そのお考えに変わりはありませんか。

伊東私は常に新しい世界を目指してきました。陸前高田診療所開設から10年が経ち、新しいことに挑戦したい気持ちもありますが、まだまだ診療をやらなければならないと感じています。

診療では天台宗宗祖・最澄の言葉「忘己利他(もうこりた)」 (己を忘れて他を利するは慈善の極み成り)の精神を大事にしている

(機関誌「済生」2025年10月号 「NEWSな済生人 Interview」より)