認知症「共生社会」を目指す
「午後3時の洗濯物」から紐解く――生活歴に寄り添いBPSDの理由を探る認知症看護
今回お話を伺ったのは……

不安のサイン「BPSD」を読み解く。認知症看護認定看護師の役割
― まず、田米さんは「認知症看護認定看護師」として具体的には、日々どのようなお仕事をされているのでしょうか?
田米認知症看護認定看護師は、実践・相談・教育などを通して、認知症の症状をやわらげるケアを実践し、患者やその家族、医療スタッフを支援するスタッフです。5年間以上の看護経験(うち認知症看護分野で3年以上)と、日本看護協会が指定する認定看護師教育機関でカリキュラムを履修すること、そして筆記試験を経て、日本看護協会から認定されます。
数ある業務の中で、私が大切にしているのは、認知症のある人が病院という非日常の環境でも、その人らしく安心して過ごせるようサポートすることです。認知症に伴う不安や混乱から、大声を出したり歩き回ったりする症状を「BPSD(行動・心理症状)」と呼びますが、これを単なる「問題行動」とは捉えず、「なぜその行動が起きているのか」「患者は何を訴えているのか」を多職種チームで考え、環境やケアの工夫を提案します。また、専門知識を生かした家族の心のケアや、病院スタッフへの教育・指導も重要な役割です。

日々のケアの中でも、患者の行動の裏にある不安や訴えに寄り添う
― 明和病院では「生活歴を生かした看護」に力を入れているということですが、BPSDが現れた患者さんへの向き合い方を教えてください。
田米認知症の方が大声を出す、落ち着きがなくなるといった行動には、必ずご本人なりの理由があります。私たちはまず、その「なぜ?」を考えることから始めます。例えば、アルツハイマー型認知症のAさんの事例です。入院当初、Aさんは食事の時間になると食堂で「ご飯に毒が入っているから食べてはいけない」と大声で怒り、周囲に呼びかける状態でした。
― 「毒が入っている」というのは衝撃的ですね。
田米はい。当初は席を離すなどの工夫をしましたが、興奮は収まりませんでした。転倒リスクも高く、私たちは安全対策に追われていたのですが、転機はAさんが新型コロナウイルスに罹患し、図らずも個室管理となったことでした。意外にも、個室になった途端にAさんは表情が穏やかになり、食事も完食されるようになったのです。
― 環境が大きく影響していたのですね。
田米対話の中で、Aさんは以前、娘さんと二人暮らしで日中は一人で家事をしていたことが分かりました。Aさんは静かな環境を好む方で、大勢の認知症の方がいるにぎやかな食堂そのものが大きなストレスだったのです。さらに、午後3時になるとソワソワし始めることも分かりました。
― 3時という時間に、何か意味があったのでしょうか?
田米それは「洗濯物を取り込む時間」という長年の習慣の表れでした。そこで、午後3時に「病院のタオルを畳む」という役割をお願いしたところ、日課として定着し、落ち着いてリハビリに取り組めるようになりました。
言葉の裏にある「本当の不安」を多職種で共有し、チームで支える
― 夕方に「帰りたい」と訴える方も多いとのことですが、どう接されていますか?
田米夕方は、「家に帰って夕飯の支度をしなければ」「家族が待っている」と、ご自身が長年担ってきた役割を思い出して不安になる方が多い時間帯です。そんな時は無理に引き留めるのではなく、先ほどの「洗濯物」のように、その方が大切にしてきた役割や生活歴をケアに取り入れることで、安心を図るようにしています。言葉をそのまま受け取るのではなく、言葉の裏にある思いを探っていくイメージです。以前、漁師の夫を支えてきた女性患者さんが「釣り針を作らなきゃいけないのに、ここにいたらできない」という不安が強い状態でした。
冨本その方は私が外来で診ていた方ですが、入院でなじみの環境から切り離されたことが引き金でした。針の準備や、釣れた針を外すのが彼女の重要な役割だったのです。ご家族に本物の釣り針を持ってきてもらい、一緒に作業をしてもらったところ、安心を取り戻されました。
― なじみのある役割が、本人の意欲を引き出すのですね。
田米そうです。私たち認定看護師だけでなく、こうした情報をリハビリスタッフや介護スタッフとも共有します。リハビリ中にふと漏らした一言が、ケアのヒントになることもあります。
冨本医師の診察だけでは見えない背景を、現場のスタッフが「なぜ大声を出したのか」という視点で掘り下げ、情報を多職種間で共有し、ケアに生かす。この多職種連携こそが、認知症ケアの要だと言えます。

多職種での定期的な意見交換により、患者の悩みや現状を共有し日々のケアにつなげていく
最大の敵は「孤立」。認知症を支える共生社会
― 一方で、認知症に対するスティグマ(偏見)は依然として根強くあります。
冨本かつて認知症に対するスティグマや認知症患者を指す言葉として差別的な用語が使われていた時代がありました。認知症研究の第一人者の長谷川和夫医師がご自身の認知症を公表されたように、今は「隠す病気」から「共に生きる病気」への過渡期です。認知症になっても感情や自尊心はしっかり残っています。その人を「困った人」と見るのではなく、その人の人生や価値観を尊重する。これは医療の基本であり、人間としての基本でもあります。
― 地域社会としては、どのようなサポートが必要でしょうか。
冨本最大の敵は「孤立」です。認知症の人や家族が集い、経験を分かち合い、地域や専門職ともつながれる「認知症カフェ」のような交流・相談できる場所を広げたいです。そこで生まれる「困り事があっても責めない」「助けを求めやすい」空気が、地域全体の寛容さにつながっていくと思います。
田米ご家族には「決して一人で抱え込まず、専門職を頼ってほしい」と伝えたいです。BPSDは病気による症状であり、ご家族のせいではありません。新人看護師への教育でも、医療従事者の視点ではなく「患者さん自身が何を不安に思っているか」を考える姿勢を伝えています。
― 地域では認知症の方に対して、どのような取り組みが行なわれているのでしょうか。
冨本松阪市や明和病院のある多気郡では、認知症の独居高齢者や夫婦が共に認知症に罹患している、いわゆる“認・認ケース(認認介護)”も増加しています。このため、地域では高齢者の介護予防教室の開催や、行方不明者の見守りネットワーク、GPS装置の貸し出しなどの施策が行なわれています。
田米明和病院は、認知症の方やご家族と地域とを“つなぐ”という役割を担っています。今までの生活と現状に耳を傾けることで、生活の変化を明確にし「どこに困っているのか」「どうしたいのか」「どんな解決方法があるのか」を考え、必ずご本人の意思を確認しながら地域の担当者とつないでいます。また、ご家族には、明和病院がいつでも相談できる場所であることを丁寧にお伝えし、安心していただけるよう努めています。
― 『地域とつなぐ役割』とのことですが、医療機関の立場から、実際にはどのような形で地域と連携されているのでしょうか?
冨本前提として、明和町にはご自宅を訪問して早期に適切な医療や介護サービスへつなぐ「認知症初期集中支援チーム」という行政主体の専門職チームがあります。当院は専門医療機関として、このチームだけでは解決が難しい「支援困難事例」のバックアップを担っています。具体的には、地域の地域包括支援センターと当院が協働して「オレンジ相談会」を運営しています。これは認知症の悩みや物忘れの不安を気軽に相談できる窓口ですが、当院の「もの忘れ外来」での専門的な治療も併用していただきながら、医療とケアの両面から患者さんやご家族の支援を行なっています。
田米松阪市や明和町といった自治体では、広く地域の方へ向けた「認知症サポーター養成講座」や「家族介護教室」「認知症カフェ」のほか、支援が難しいケースを検討する「支援困難型地域会議」などが主催されています。そうした地域の支援体制を土台とした上で、「オレンジ相談会」では、より専門的な医療の立場からアプローチできるのが強みです。そのため、患者さんやご家族からのご相談はもちろん、地域のケアマネジャー(介護支援専門員)やサービス事業者といった専門職の方々に対しても、具体的なアドバイスや支援を行なっています。
― 最後に、今後の展望をお願いします。
冨本根拠に基づく治療とケアを大切にしながら、「患者の生活歴や価値観に耳を傾けた看護」を両立させることが、済生会の使命を現場で体現することだと考えています。誰もが住み慣れた場所で自分らしく暮らせるよう、地域ぐるみのネットワークをさらに強固にしていきたいです。














